雑談
(2003/05/18記)
(2019/08/02更新)

 このサイトにまつわる雑談(独り言)です。


(目次)このページ内でジャンプします。

1999/03/12 デジタルツーカー東北の全面液晶携帯(CA3)へ乗り換え
1999/03/23 龍飛崎(北海道と接続)
2000/07/02 J-PE02(CA4)に機種変
2001/11/16 J-SH07に機種変
2002/09/xx ステーション位置情報
2002/09/17 函館本線の位置情報
2002/10/01 投稿開始
2002/10/14 地下物件アウガ
2002/11/10 五能線
2002/11/16 秋田内陸縦貫鉄道/田沢湖線/花輪線
2002/11/23 釜石線/山田線/三陸鉄道北リアス線/八戸線
2002/11/26 龍飛崎(北海道受信不可)
2002/12/06-07 上野
2002/12/15 J-SH09に機種変/ポケベル入力/北緯東経のずらし方
2002/12/20 青森県弘前市大字下白銀町
2003/01/11 奥羽本線/陸羽西線/羽越本線
2003/01/24-25 奥羽本線/陸羽東線/東北本線
2003/03/01-08 日本縦断 熊本/博多/小倉/西新宿
2003/04/27-28 下北半島一周/北海道の位置情報
2003/05/07 某サイトへ報告
2003/05/09 青森県弘前市大字北川端町
2003/05/17 ホームページとアスパラガス
2003/05/18 ホームページ(Imitation of Asparagus)開設
2003/05/19 青森県弘前市大字北川端町
2003/05/20 某サイトへ報告
2003/05/22-25 上野/西新宿/仙台
2003/06/07 タグ辞典
2003/06/08 青森県西津軽郡鯵ヶ沢町大字長平町
2003/06/12 アスパラガスとシオデ(牛尾菜)/フィルムスキャナ
2003/06/13 「メモ」のページを新設
2003/06/15 18-18青森県弘前市大字下白銀町
2003/06/21 電子地図
2003/06/26 順不同
2003/06/28 アクセスカウンター
2003/06/29 さくら野弘前店
2003/07/04 津軽半島
2003/07/05 十和田湖
2003/07/07 写真が甘い
2003/07/13 森吉(秋田県)
2003/07/14 アルファベット入りの局名
2003/07/15 巨大PHS型(IMT-2000)
2003/07/16 五能線ルート(国道101号)
2003/07/20 Nikon FM3A/レンズ
2003/07/20-24 仙台/上野/都内の地下鉄/新宿
2003/08/17 「遠距離受信記録」のページを新設
2003/09/02 「サイト内リンク集」のページを新設
2003/09/02 IMT-2000
2003/09/21 津軽半島一周
2003/09/23 ISDNからADSLへ変更
2003/11/22 「マトリックス」のページを新設
2003/12/28 日本国外?
2004/01/23 J-SH09の修理
2004/02/08 セクターの向きの測量を開始
2004/05/05 残る大物・下北半島
2004/08/01 ワンバケーションパス
2004/08/04 ミラーコンパス
2004/08/08 DDI-Pocketの8本槍など
2004/08/12 5つ目の「青森県八戸市大字鮫町」
2004/10/23 下北半島(脇野沢村/川内町)
2004/11/20-21 下北半島(佐井村/大間町/風間浦村/むつ市/東通村)
2005/02/05 八戸市
2005/02/12 八戸市北インター工業団地
2005/03/19 三戸郡
2005/03/19 青森県位置情報制覇(?)
2005/05/15-21 大船渡線/気仙沼線/仙石線/常磐線/水郡線/磐越西線/羽越本線/米坂線/奥羽本線
2005/06/02 位置情報セクター図(青森県)の掲載開始
2005/07/18 拾い残しがあった(汗)
2005/07/24-26 千葉
2005/08/14 五能線
2005/08/20 五能線(鰺ヶ沢)
2005/08/27 津軽半島(西部)
2005/09/10 ホームページ容量
2005/11/04 函館
2006/01/07 乗りつぶし
2006/09/15 J-SH09の外装交換
2006/09/30 東北乗りつぶし完了
2006/10/28 料金プラン変更
2007/09/06 旅行中止
2009/03/09 カウントダウン
2009/11/25 今さらホワイトプラン
2010/03/04 Carl Zeiss Distagon T* 2.8/25 ZF
2010/03/10 フィルムスキャナ
2010/03/31 停波
2010/06/28 庄内、会津
2010/07/10 カメラ修理/防湿庫
2010/11/01 東北新幹線新青森開業試乗会
2011/03/08 カメラとのつきあい(1)
2011/03/09 カメラとのつきあい(2)
2011/03/10 カメラとのつきあい(3)
2011/03/14 光回線と地震
2011/04/30 カメラとのつきあい(4)
2011/05/01 カメラとのつきあい(5)
2011/05/02 カメラとのつきあい(6)
2011/05/03 カメラとのつきあい(7)
2011/05/04 カメラとのつきあい(8)
2011/05/05 カメラとのつきあい(9)
2011/05/06 カメラとのつきあい(10)
2011/05/07 カメラとのつきあい(11)
2011/05/08 カメラとのつきあい(12)
2011/05/09 カメラとのつきあい(13)
2011/05/10 カメラとのつきあい(14)
2012/02/20 お気に入りの駅弁
2012/09/07 日本列島喫茶店スタンプラリー・訪問歴
2016/08/25 ホームページ移転
2019/08/02 おでかけメモ

1999/03/12 デジタルツーカー東北の全面液晶携帯(CA3)へ乗り換え

 知人にそそのかされ、DoCoMoからデジタルツーカー東北へ乗り換え。購入機種はタッチパネル式全面液晶携帯のCA3(Pioneer製)。
 送信はスカイメール(ヘッダー込み128バイト)のみで受信はスカイ3連結(ヘッダー込み384バイト)までであったが、i-modeの存在しない当時は十分な威力を発揮し、きちがいと言えるほどのメール好きとなる。


1999/03/23 龍飛崎(北海道と接続)

 龍飛崎へ行ったとき高台だけは通信可能。
 後に明細書を見て、デジタルツーカー北海道と接続していたことを知る。


2000/07/02 J-PE02(CA4)に機種変

 専門店で、後継機であるJ-PHONEのCA4(J-PE02)に機種変(このとき、J-PHONE公認の携帯編集ソフト(PCリンクキット。Pioneer製)をサービスでゲット)。
 パネルに表示されるキーボードにローマ字入力できる機能はモバイル同然で、PioneerのJ-PE02までの設計思想はメール機能と操作性で史上最高の感(当サイトのURL中「jpe02」はそれにちなんだもの)。


2001/11/16 J-SH07に機種変

 DoCoMoユーザーとメール交換する都合上ロングメール機を求めるが、後継機のJ-PE03が一般的なストレート型であると知り愕然。
 メール本文入力画面に入力文字数が表示される機種は店頭にJ-SH07しかないため、やむなくこれに機種変。
 当時の最高スペック機であったが、操作性の悪さに落胆。
 同時に携帯編集ソフト(ケータイ・エディ)を購入するが、送信ロングメールをパソコンへ転送できないことを知って唖然。
 それでもメールきちがいぶりは過熱の一途でメール通信料がひと月\3,000を超えたりし、転送設定(勤務先→自宅パソコン→J-PHONE)ですべてのメールをJ-PHONEへ集め、「急用以外のメールは続きを読まない」、「できるだけJ-PHONEから送信しない」などと凝りまくる。


2002/09/xx ステーション位置情報

 このころまでウェブとステーションを混同しどっちも有料と誤認(ステーションは基本的に無料。一部有料番組の閲覧は、申し込みが必要)
 メールの過熱が少し冷めたある日、「ステーションからウェブアクセスしない限り無料」と知り、位置情報を覗いてみるようになる。
 某掲示板で位置情報の調査が行われていることを知る。


2002/09/17 函館本線の位置情報

 札幌へ向かうJRの車中で自動更新された位置情報を散発的にメモるが、帰宅後紛失。


2002/10/01 投稿開始

 某掲示板へ弘前・青森間の身近な位置情報から投稿開始。
 前後して、北緯東経も受信できることを知る。


2002/10/14 地下物件アウガ

 青森市の地下物件(アウガ)を調査し、位置情報の変更を投稿。


2002/11/10 五能線

 五能線の旅に出て位置情報を拾う。
 以来、位置情報拾いの旅を繰り返し、移動受信がやみつきになる。


2002/11/16 秋田内陸縦貫鉄道/田沢湖線/花輪線

 秋田内陸縦貫鉄道・田沢湖線・花輪線の旅に出て位置情報を拾う。


2002/11/23 釜石線/山田線/三陸鉄道北リアス線/八戸線

 釜石線・山田線・三陸鉄道北リアス線・八戸線の旅に出て位置情報を拾う。


2002/11/26 龍飛崎(北海道受信不可)

 1999/03/23の出来事を思い出し、龍飛崎の高台で北海道の位置情報を拾おうとする。
 現地到着前に1件拾うが(北海道松前郡福島町館崎)、肝心の現地はサービスエリアになってしまっていて北海道を拾えない。


2002/12/06-07 上野

 事前にJ-PHONEの公式サイトにある地下物件と某検索システムに登録された位置情報を見くらべて上野(東京都台東区)に未出の地下物件があることを知り、某サイトで屋外の基地局の所在を調べて準備を整え、東北新幹線・常磐線・東北道の旅に出て位置情報を拾う。
 このときたまたま、正体不明の位置情報を拾ってしまう(北緯35.42.35東経139.46.44東京都台東区上野)。
 すぐに都内の常連さんが追跡調査し「基地局は上野広小路口ひさし上のアンテナのようです」とフォローを入れてくださる。
 この出来事は、後の観察等に影響が大。


2002/12/15 J-SH09に機種変/ポケベル入力/北緯東経のずらし方

 J-SH09に機種変。
 パソコンからのウェブ投稿が不調のためロングメールで投稿。以来、メール投稿がやみつきになる。
 メールは「かな入力」より「ポケベル入力」の方が速くて機能的であることを知り、徐々に「ポケベル入力」へ変えていく。
 複数の北緯東経を発する基地局のことが某掲示板で話題になり、位置情報の発信元(基地局)を調査し始める。
 弘前や青森にある基地局の多くは3つの北緯東経を発することを知り、そのずらし方(秒差)に異常な関心を持ち分類を試みるが、個体数が少ないためか異なる型ばかり出現し、試みは挫折。


2002/12/20 青森県弘前市大字下白銀町

 青森県弘前市大字下白銀町を発信する基地局を詳しく調査。
 まもなく、基地局は2か所あると知る(誤認。基地局は1か所)
 このとき、ビルの陰に隠れて大型局の電波をカットする手法が小型局の所在調査には有効であることを知る。
以来、「屋外物件の調査感覚」の血が徐々に濃くなっていく。


2003/01/11 奥羽本線/陸羽西線/羽越本線

 奥羽本線・陸羽西線・羽越本線の旅に出て位置情報を拾う。


2003/01/24-25 奥羽本線/陸羽東線/東北本線

 奥羽本線・陸羽東線・東北本線の旅に出て位置情報を拾う。


2003/03/01-08 日本縦断 熊本/博多/小倉/西新宿

 東北新幹線・東海道新幹線・山陽新幹線・鹿児島本線・山陰本線・小浜線・北陸本線・羽越本線の旅に出て位置情報を拾う。
 東京の西新宿を探訪。

(2003/03/02)
 東京の上野や西新宿、東京都交通局大江戸線を探索して位置情報を拾い、「地下物件の調査感覚」の血も濃くなってきていることを自覚。

(2003/03/03)
 都内の常連さんから「西新宿のヨドバシカメラ付近で「北緯35.41.12東経139.42.01東京都新宿区西新宿」という位置情報が拾える」という投稿があり、関心を持つ。

(2003/03/04)
 熊本市を調査中、某位置情報検索システムに北緯東経も登録可能となったことを知って喜ぶ。
 (大旅行終了後に北緯東経のずらし方(秒差)の分類に再挑戦)
 2日がかりで熊本市中心部の地下物件や屋外の発信元を調査。

(2003/03/06)
 帰途、博多駅付近と小倉駅付近の地下物件を調査。

(2003/03/07)
 2日がかりで山陰本線など日本海沿岸ルートで位置情報を拾いながら帰宅。


2003/04/27-28 下北半島一周/北海道の位置情報

 2日がかりで位置情報未出の下北半島(むつ市、下北郡)を一周しながら位置情報を拾いまくり、北海道の位置情報を遠距離受信しました。


2003/05/07 某サイトへ報告

 熊本市の基地局所在の調査結果を某サイトへ報告したところ、管理人さんの独自調査分と合わせて掲載してくださる。


2003/05/09 青森県弘前市大字北川端町

 青森県弘前市大字北川端町について調査。
 発信元は明治屋セブンビル屋上のPHS型と推定(誤診。発信元は別の場所)


2003/05/17 ホームページとアスパラガス

 過去の断片的な投稿内容を補うとともに位置情報とその発信元に関する私的体系を作る目的でホームページの作成を決め、\1,000で「HTML…超入門」という初心者用の本を購入。
 タイトルは、「鋼管柱はアスパラガスに似ている」という知人発言により「Imitation of Asparagus」と決める。


2003/05/18 ホームページ(Imitation of Asparagus)開設

 プロバイダなどが提供するホームページビルダを使わずにホームページを開設。「シンプル・イズ・ザ・ベスト」が身上。
 以降、弘前、青森ほか青森県内で拾った位置情報や発信元の観察結果などを順次掲載。


2003/05/19 青森県弘前市大字北川端町

 青森県弘前市大字北川端町について前回とは別のルートで調査。
 発信元は明治屋セブンビルではなくコーピアス弘前屋上のPHS型とほぼ特定。


2003/05/20 某サイトへ報告

 弘前市の基地局所在の調査結果を某サイトへ報告し掲載していただく。


2003/05/22-25 上野/西新宿/仙台

 東北新幹線・常磐線・東北道の旅に出て位置情報を拾う。

(2003/05/23)
 2002/12/06に拾った正体不明の位置情報(北緯35.42.35東経139.46.44東京都台東区上野)を調査。
 発信元は広小路口ひさし上のPHS型とほぼ特定(誤認。発信元はひさし下のボタン型)

(2003/05/24)
 「北緯35.41.12東経139.42.01東京都新宿区西新宿」について調査。
 極めてエリアの狭い基地局と推定するが、発信元を特定できず。

(2003/05/25)
 仙台の地下物件(仙台駅付近、長町駅付近)について調査。


2003/06/07 タグ辞典

 タグ辞典を購入。
 当サイトのプロバイダではアクセスログを取得できるのはプロバイダ提供のホームページビルダを使った場合だけと知るが(誤認)、お仕着せと手戻りを嫌って現行の手作り路線を維持。


2003/06/08 青森県西津軽郡鯵ヶ沢町大字長平町

 ビル屋上にある大小5本のアンテナ?(長筒4、不明小型1)のうちどれがJ-PHONEか判断できない(誤認。全部よそ物)


2003/06/12 アスパラガスとシオデ(牛尾菜)/フィルムスキャナ

 アスパラガスは美味しい野菜ですが、もっと味のいい植物があります。アスパラガスと同じユリ科のシオデ(牛尾菜)は、地方では「ソデコ」や「ヒデコ」と呼ばれ、そのうまさのあまり秀子節(秋田民謡)に唄われたりしています。ゆでて醤油をかけ、マヨネーズをちょいつけて食べれば、「ん〜っ、うまいっ。世のアスパラガスは全部シオデにかわっちまえ〜っ」という気分になります。
 ですから春はやっぱり、弘前から西へ足が向きますね〜。最盛期の5月下旬には、2kgも採れますから。でも、シオデが市中に出回ることはありません。ワラビやフキのようにどこにでも生えている、というシロモノではないからです。
 そこで、6月7日にシオデを採りに行ったときに何枚か写真を撮ってきました。
 気に行った1枚を背景画にしてみましたが、全体的にパッとしません。しかも、フィルムにキズがついていたようです。
 すでに旬を過ぎていることもあるし、気が向いたら入れ替えます。
(撮影)
Nikon-FE/NIKKOR 24mm F2.8/絞開放オート/フジカラー400
(フィルムスキャナ)
nikon coolscan 4 ED


2003/06/13 「メモ」のページを新設

 2003/06/13 青森県青森市安方 これまで拾った位置情報は北緯・東経のずらしが7秒まででしたが、ついに東経8秒差のずらしを発見(青森県青森市篠田)。それも、青森駅の西〜北側という近場で拾えるとは(!)。
 「篠田」と「安方」は秒数だけ見ると同じずらし方をしています(方眼紙に北緯東経の三角形を書くと同型になります)。うち、「篠田」は1局だと思いますが、「安方」は3局あるとしか思えません。一度に3局を推定するハメに陥り、困惑しました(誤認。基地局は1か所)
 わかりにくい事例でしたが、その推定過程は、まとまり次第「メモ」に掲載します。


2003/06/15 18-18青森県弘前市大字下白銀町

 「北緯40.36.18東経140.28.18青森県弘前市大字下白銀町」という位置情報とその推定発信元の所在(大字上白銀町3−4 東奥日報社弘前支社 北緯40.36.03東経140.27.58)とは、750m離れています(誤認。ここは発信元ではない)


2003/06/21 電子地図

 MapFan.net(インクリメントP)の地図は、定められた条件を守ればHPに掲載可能と知り、ネットで申し込み。


2003/06/26 順不同

 調査実例(21-22下白銀町、18-18下白銀町、16-24下白銀町の所在)は最初に記載すべき実例でしたが、順不同になってしまいました。あしからず…(^^;


2003/06/28 アクセスカウンター

 プロバイダに問い合わせたところ、アクセスログも取れるしカウンターも設置できると知ったので、直ちに実行(私が知らないだけでした…汗)。


2003/06/29 さくら野弘前店

 さくら野弘前店の電波状態が良くなっていたので調べたら、新規位置情報(青森県弘前市大字城東北)になっていて、地上4階建てのうち1〜3階に道トン協の基地局(誤認。発見したのはレピータ)が設置されていました。
 青森県内で発見された屋内局は青森市のアウガに次いで2件めですが、地方に屋内局が入るのって、なんかうれしいですね(^o^;


2003/07/04 津軽半島

 青森市から龍飛崎(三厩村)まで国道280号で行ってきました。
 青森県東津軽郡今別町大字山崎の発信元がマイクロ鉄塔(これで3件め)であることを確認しました。
 ただ、平舘村に何もないのは意外でした。
 蟹田町と平舘村の両方を1局(青森県東津軽郡蟹田町大字小国)で間に合わせるあたりはいかにもJ-PHONEだと思いますが、位置は未確認ですがどうやら無理な場所に基地局を置いたようで、蟹田町の内陸に数百戸に及ぶ大穴ができていました。
 その大穴の中にDoCoMoの鋼管柱とauの鉄塔がありますから、がっかりです。


2003/07/05 十和田湖

 十和田湖町の位置情報拾いとその発信元探しに行ってきました。
 「青森県上北郡十和田湖町大字奥瀬」の発信元は十和田八幡平国立公園内十和田湖畔の宇樽部地区休屋地区にあり、景観上めだたないようにするためかフェンスからアンテナまですべてこげ茶色になっていました。
 「青森県上北郡十和田湖町大字法量」の発信元も同国立公園内にありますが(焼山温泉街)、こちらはすべて深緑色でした(後日、写真を見て誤認と判明。深緑色は鋼管柱のみ)
 観察結果等は後日、写真とともに掲載します。


2003/07/07 写真が甘い

 135mmと24mmで撮った写真を掲載し始めたら、思ったより甘い写真が多いことがわかりました。おまけにフィルムを抜くとき光がもれたようだし、「北緯40.25.29東経140.54.13青森県上北郡十和田湖町大字奥瀬」(十和田湖畔休屋地区)の推定発信元は撮影に失敗するし、散々です。
 望遠を三脚に据えて撮るのがよさそうですが、位置情報拾いの旅につぎ込んでいるもので、ちょっと軍資金が…(^^;


2003/07/13 森吉(秋田県)

 国道7号、国道105号で秋田県北秋田郡森吉町へ行き、太平湖を経由して岩手県鹿角市花輪から花輪線・奥羽本線で帰ってきました。


2003/07/14 アルファベット入りの局名

 北津軽郡で未確認だった位置情報(北緯・東経)と発信元を調べてきました(青森県北津軽郡金木町大字金木、青森県北津軽郡市浦村大字相内、青森県北津軽郡市浦村大字脇元、青森県北津軽郡小泊村字砂山)。
 PHS型の局名を見たのは「青森県北津軽郡市浦村大字相内」が初めてで、局名はアルファベット入り(市浦A局)というのも初めてでした(^^;


2003/07/15 巨大PHS型(IMT-2000)

 青森県南津軽郡常盤村大字若松の発信元を確認してきました。
 PHS型(2本×2)の隣りにやたらとデカイPHS型がありましたが、もしかしたらIMT-2000でしょうか?


2003/07/16 五能線ルート(国道101号)

 五能線ルートを国道101号で移動し、「青森県西津軽郡鯵ヶ沢町大字舞戸町」の3つめの位置情報(北緯・東経)のほか、西津軽郡で未確認だった「青森県西津軽郡深浦町大字深浦」と「青森県西津軽郡岩崎村大字松神」の位置情報(北緯・東経)とその発信元を調べてきました。


2003/07/20 Nikon FM3A/レンズ


2003/07/20-24 仙台/上野/都内の地下鉄/新宿

 東北道・阿武隈急行・水郡線・水戸線・東北本線・東武鉄道・野岩鉄道会津鬼怒川線・磐越西線・山形新幹線・陸羽西線・羽越本線・奥羽本線の旅に出て位置情報を拾う。

(2003/07/20)その1
 カメラボディ(Nikon FE、Nikomat FT2)が2台ともポンコツ化したので(泣)、仙台ヨドバシでNikon FM3Aを買い求めました。
 使用レンズは依然、次のとおりです。
 NIKKOR 24mm F2.8(歪曲収差少し。コントラスト良好)
 NIKKOR 135mm F2.8(歪曲収差ゼロ。コントラスト良好。絞り開放から解像度抜群!)
 Tokina 100-300mm F5.6(安いだけあって甘い画質だが、カネがないのでがまん)
 普段はもっぱら24mmと135mm所持ですが、アンテナ部分を撮るときは100-300mmを持ったりします。

(2003/07/20)その2
 仙台市営地下鉄(現在は、南北線のみ開業)の電波状態が悪い原因がわかりました。
 J-PHONE公式サイトでサービスエリアとしている地下鉄駅は、北四番丁駅、勾当台公園駅、広瀬通駅、仙台駅、五橋駅、愛宕橋駅、長町一丁目駅、長町駅、長町南駅です。
 これらの多く(というより、たぶん全部)は、次のような特徴がありました。
 (1)北へ走る電車は地下ホームの北側に停車し、電波状態は悪い。
 (2)南へ走る電車は地下ホームの南側に停車し、電波状態は良い。
 (3)地下ホームの南側から階段・エスカレータに乗るあたりまで電波状態は良いが、階段・エスカレータの裏側(北)では圏外になったりする。
 したがって、アンテナは階段・エスカレータの上り口付近かホームの南側に設置されていてホーム北側へは電波が届きにくいレイアウトになっていると推定します。

(2003/07/21)
 営団地下鉄銀座線上野・浅草間を調べたら3駅(上野駅、稲荷町駅、田原町駅)の位置情報が同じでしたが、それは既出の3駅(日比谷線三ノ輪駅、入谷駅、上野駅)とも同じなので、計6駅が同じだ〜(!)。

(2003/07/22)
 東京都交通局大江戸線でぐるっと一回りしたら(都庁前駅東方面)、通信可能な駅がだいぶ増えていました。

(2003/07/24)
 新宿東口方面を少し歩いてみましたが、ビルは高くて過密だし人出も過密でして、ここらへんの小型基地局を探してたらとてもうちへ帰れなくなりそうなので(笑)、あっさりと引き上げました。


2003/08/17 「遠距離受信記録」のページを新設


2003/09/02 「サイト内リンク集」のページを新設


2003/09/02 IMT-2000

 しばらく前までPDCだけの局で最近IMT-2000化されたところがいくつか見られます。
 10月の3Gサービス(IMT-2000方式)本格稼動へ向けて最後のひと捲り、といったところでしょうか(^^;


2003/09/21 津軽半島一周

 秋晴れで絶好の調査日和、津軽半島の海岸線を一周しながら片っ端から基地局の写真を撮り捲り、ついでに展望台などで遠距離受信をしてきました。
 龍飛埼灯台では、灯台の管理者(第二管区海上保安本部)の鋼管柱鉄塔にJ-PHONEとDoCoMoが同居しているのを発見しました。当地で「同居」を見たのは初めてです(^^
 2か月ほど前に基地局を発見できなかった青森県東津軽郡蟹田町大字小国は、公園の高台にある鉄塔に寄生していて、簡単に見つかりました。
 「3GサービスのためのIMT-2000化はPDC全局を対象にしてるんじゃないかな」などと思ったりしていたのですが、アングルトラス鉄塔や筒のついた鋼管柱鉄塔などよりエリアの狭そうなPHS型では、まだIMT-2000化されていないものが残っているようです。


2003/09/23 ISDNからADSLへ変更


2003/11/22 「マトリックス」のページを新設


2003/12/28 日本国外?

 「北緯38.53.09東経114.07.16岩手県一関市真柴」
 東経114度だと日本国外ですねぇ(笑)。


2004/01/23 J-SH09の修理

 J-SH09の画面表示がずれたり勝手に電源オフになったりするので修理に出したところ、基板と液晶が交換されて戻ってきました(840円)。
 メモリーは、無事でした。


2004/02/08 セクターの向きの測量を開始


2004/05/05 残る大物・下北半島

 基地局が雪に埋もれた冬季間はあちこち県外に遠征していましたが、ようやく春になり当地も調査日和、といった風情です。
 今回は2日がかりで、これまで未調査だった三沢市・上北郡方面の位置情報と基地局を一気にやっつけてきました。
 残る大物は下北半島(むつ市・下北郡)ですが、5月から6月上旬は年に一度の山菜シーズンでして、大量のシオデが私を待っています(笑)。
 そんなわけで基地局調査は当分おあずけですが、北緯東経のずらし方に関する調査も懸案になっていてやることだらけです(^^;


2004/08/01 ワンバケーションパス

 弘南バスのワンバケーションパス(\1,000)を使って藤崎局、五所川原局、金木局(位置情報は青森県五所川原市大字長富)を調査してきました。
 このパスは、土日祝日なら1日乗り放題というもので、高速バスや一部の観光路線(「津軽岩木スカイライン」、「温川〜十和田湖」など)は乗車不可ですが、ほかの路線バスはすべて乗車できます。


2004/08/04 ミラーコンパス

 SILVA ミラーコンパスを注文しました(数日後到着)。
 評判どおり、素晴らしい製品です。
 傾斜計もついているので、いざとなればセクター測量でアンテナを見上げたときの仰角も測定できます。


2004/08/08 DDI-Pocketの8本槍など

 上北郡横浜町からむつ市にかけて調査してきました。
 途中、思いがけずDDI-Pocketの8本槍などに出会ってしまいました(^^


2004/08/12 5つ目の「青森県八戸市大字鮫町」

 三陸北へ遠征した帰り道、思いがけず5つ目の「青森県八戸市大字鮫町」を受信しました(^^


2004/10/23 下北半島(脇野沢村/川内町)

 この地区の位置情報は、脇野沢村の1つと川内町の1つを受信していますが、川内町にはもう1つあるはずです。
 その位置情報探しとこれらの写真撮影のため、下北汽船に乗ってでかけてきました。


2004/11/20-21 下北半島(佐井村/大間町/風間浦村/むつ市/東通村)

 下北には、まだ9局残っているはずです。
 これらを探したり撮影したりするため、下北汽船に乗って出かけ、なんとかやっつけてきました。
 道中、放送用アンテナやNTT自動車電話方式なる物件にも面会しました。
 でも、拾った北海道の位置情報は、2個だけでした(^^;
北緯41.46.34東経140.49.05北海道函館市上湯川町
北緯41.45.40東経141.05.39北海道亀田郡恵山町字女那川


2005/02/05 八戸市

 八戸市には、PDCがあと2局残っているはずです。
 うち1局は、位置情報を拾っているので、その場所へ行くだけで用が足りました(大久喜)。
 もう1局は、位置情報も不明なので地図上で穴が空きそうな2地区(田代、豊崎)を探しましたが、見つかりません。
 ドジなことに、2地区とも「エリアマップ上の白地」だったのですが、気づいたのは帰宅後でした(^^;;;


2005/02/12 八戸市北インター工業団地

 八戸市には、J-PHONEのPDCがあと1局残っているはずです。
 狙いを定めた場所(北インター工業団地)は、「ここに基地局がなくても圏外にはならないだろう」といった場所です。
 でも、探し求めたJ-PHONEは、そこにありました!


2005/03/19 三戸郡


2005/03/19 青森県位置情報制覇(?)

 三戸郡田子町には、TurtleNeckが拾い残した最後の位置情報があるはずです。
 その位置情報受信とJ-PHONE(PDC)全局撮影を目指し、現地へ出掛けてきました。

 2005/03/19、ついに青森県内の位置情報を拾い切ったようです。
 2002/10/01に位置情報拾いを始めてから、2年半かかりました(^^;
(?)


2005/05/15-21 大船渡線/気仙沼線/仙石線/常磐線/水郡線/磐越西線/羽越本線/米坂線/奥羽本線

 JR一筆書き旅行は趣味の一つでして(乗り鉄)・・・またやらかしてしまいました(^^;
 キップは[盛岡→弘前]で、走破キロ数は1,415.4km(営業キロ)です。
 目的の一つは未知の路線である米坂線と磐越西線(会津若松以西)の走破でしたが、道中はもちろん位置情報の移動受信に躍起となっていました。
 結果、市町村合併による位置情報(地名)の変化は、かなり大規模であることがわかりました。


2005/06/02 位置情報セクター図(青森県)の掲載開始


2005/07/18 拾い残しがあった(汗)

 合併に伴い旧「十和田湖町」の位置情報(4局)が「十和田市」に変化したかどうかと十和田湖畔の2局がIMT-2000化されたかどうかを確認するため、でかけてきました。

 ついさっき、位置情報(青森県)の拾い残しを発見してしまいました(^^;;;
 基地局数は変わりませんが、位置情報数が1件増えます。


2005/07/24-26 千葉

>千葉県佐倉市岩富において「千葉県夷隅郡大原町佐室」という位置情報を受信してしまいます。
某掲示板にこのような内容の投稿があったので、実態を調べたくなって千葉県を訪問しました。


2005/08/14 五能線

 五能線沿線3局の再撮影&セクター測量のため、でかけてきました。
 2局の調査は順調に進みましたが、鯵ヶ沢で雨がひどくなり太陽はまったく見えません(汗)。
 やむなくここの調査は断念し、他日を期すことにしました。


2005/08/20 五能線(鰺ヶ沢)

 先週降雨のため調査できなかった鰺ヶ沢局を調査してきましたが、途中に障害がありました。


2005/08/27 津軽半島(西部)

 セクター測量と合併による位置情報の変化状況調査のため、津軽半島(南西部)を訪問しました。
 結果、車力村と稲垣村の位置情報(地名)は、合併後の地名(つがる市)になっていました。
 中里町と小泊村の位置情報(地名)は、合併後の地名(中泊町)になっていませんでした。
 金木町と市浦村の位置情報(地名)は、合併後の地名(五所川原市)になっていませんでした。


2005/09/10 ホームページ容量

 当サイトはDIONを使用していますが、現在17MBに達しており、無料で使える容量(20MB)が目前です(汗)。
 そしたらDIONは2005年10月から、無料で使える容量を100MBに増やすとの吉報(^^
 今後少しずつひっそりと、小さすぎる写真を大きくしていきます。


2005/11/04 函館

 青森県の隣り、位置情報を拾い始めた身近な存在、それなのになぜか脚が遠い北海道。
 青函初訪問の某著名廃人さんのお供を兼ねて、久しぶりに函館を訪れました。
 函館駅前は、10余年前の面影をほとんど残さないほど変容してどこにでもある都会風景に近づいていましたが、「朝市」の路地へ進入したら昔の風景が残っていて少しホッとしました(^^;


2006/01/07 乗りつぶし

 実は、乗りつぶしにはまっています。
 位置情報の移動受信と併せて一石二鳥ではないかと(^^;


2006/09/15 J-SH09の外装交換

 ソフトバンクになったら、総合パンフレットから年間割引の案内が消え(ここで危機感その1)、2G新規契約は2008年3月で終了(ただし、機種変は可能)とアナウンスされるなど(ここで危機感その2)、雲行きはvodafone時代よりさらにあやしくなってきました。
 そんなこともあって、2Gの位置情報の調査研究を続けるため、決意@頑固一徹。

2G停波までJ-SH09を使う。
(理由1)
 DeviceInfo(使用中の位置情報アプリ)は、DLサイトから消えたため、機種変すると使えない。
(理由2)
 位置情報の履歴が残って(5件)その1件削除ができる機種は、シャープのみ。この機能は、位置情報の調査研究には必須。したがって、シャープ以外に選択肢はない。
 ところがこのシャープ、最近の機種はボタンがフラットで操作性がいまいち良くない。
料金プランは変更しない。
(理由)
 変更すると損する。

 ところで、4年ちかく使ってきたJ-SH09は、外装がぼろぼろ。へりはすり減って白いプラスチックがむき出しになっているし、ストラップが巻きつく箇所はやせ細ってもうじきちょん切れそう(^^;
 外装交換に出したら新品同様になって戻ってきました(420円)。
 メモリーは無事でした。


2006/09/30 東北乗りつぶし完了

 大湊線のちょっと(下北〜大湊)と津軽線の盲腸部分(中小国〜三厩)を乗りつぶしてきました。
 これで、東北地方のJRと私鉄の乗りつぶしは、終わりました。
 いつでも行けると思って油断しているから、青森県内の路線が東北の乗りつぶしの最後になったりするのです(^^;


2006/10/28 料金プラン変更

 ソフトバンクショップへ出かけ、料金プランを変更してきました。
 新プランでは、損するどころか、千円ちょい安くできそうなので。
 どっか、落とし穴に落ちていなければよいのですが…(^^;

バリューパック(3,900円/月(税別)、無料通話は2,000円まで)&年間割引(1年しばり)

オレンジプラン(W)のSSプラン(3,400円/月(税別)、無料通話は1,000円まで)&自分割引(2年しばり)


2007/09/06 旅行中止

 9/6から9/8までの日程で立山黒部アルペンルートなどを乗りつぶす計画は、台風接近中のため中止しました。


2009/03/09 カウントダウン

 位置情報が消滅するまであと1年しかなくなりましたね。今日のカウントダウンは、387日。
 今年こそは、立山黒部アルペンルートへ行きたいし、道北の乗りつぶしにも行きたい。


2009/11/25 今さらホワイトプラン

 現在の「オレンジプラン(W)SS」だと毎月の繰越が限度の5,000円に到達することがしばしばあったので、今さらですが、ホワイトプランに変更して安上がりにすることに。
 ソフトバンクのHPで手続きを進め、「申込」ボタンを押すと、「手続は完了しました」だか、あっけない表示に。「ワンクリック詐欺に近いような…」と思うのは、私だけでしょうか。
 ショッピングでも宿の予約でもふつうは、最後に確認のため入力内容が全部表示されるものですけどね。
 心配になって、「変更受付状況」を押してみたら、ちゃんと変更前(オレンジSS)と変更後(ホワイトプラン)が表示。よかった、よかった(^^;

 一方、「オプションサービス」については、初期(1999年)に申し込んだときの状態がまだ生き残っていて、「絶滅危惧種」みたいだなと思ってみたり。

・ロングEメールサービス (税込210円/月)
・ステーション有料チャンネル(税込105円/月)
・ソフトバンクアフターサービス(税込315円/月)


2010/03/04 Carl Zeiss Distagon T* 2.8/25 ZF

 買っちまいました(^^;

 長年使ってきたNIKKOR 24mm F2.8は、歪曲収差が少しあるため建物や構造物など直線的な物の撮影には不向きでしたが、絞り開放以外はコントラスト上々なので風景やスナップを撮るには手ごろでした。
 カメラごと転んでフィルターが滅茶苦茶に割れてしまったり、レンズを路上に落としてマウントの縁が凹んでしまったり、その他かすりキズやハゲは無数にありますが、それでも異状なく使うことができ、Nikonの丈夫さに感心したものです。
 また、このレンズは、Nikonが初めて近距離補正機構を組み込んだものでした。

 一方、2006年11月に発表されたT* 2.8/25は、COSINAがCarl Zeissと提携して国内で製造しているもので、マウントはZF(ニコンAi-S)とZS(M42スクリュー)とZK(ペンタックスKA)があります。焦点距離は現有の24mmよりも1mm長い25mmで、画角は3度(84度−81度)狭くなりますが、これはあまり気にしないことにします。
 ネットでクチコミや作例などを見ましたら、微妙な中間色の色合いが出るとか、近接撮影が抜群で17cmまで近づけるとか、ボケ味がきれいで立体感が出るとかいった特徴なので、車窓からだろうと何だろうとバシャバシャ撮りがちな当方には不向きなレンズだということがわかりました。あと不思議なことに、カタログ値では歪曲収差が最大-2%もあるのに、ネット上の作例ではそれほど歪曲収差が目立つものが見当たらないのです。

 はい、それでも買っちまったんです。
 3/1にネットでこのレンズの存在を知り、カカクドットコムのクチコミ板などを読み漁り、3/2にレンズプロテクトとともに速攻で注文し、今日3/4に現物が到着。カメラ関係では2003年にNikon FM3Aを買ってから7年ぶりの大きな買物でして、諭吉7人と英世5人が吹っ飛びました(^^;


2010/03/10 フィルムスキャナ

 CABINのコンパクトフィルムスキャンを1万円ちょいで購入しました。

 ネガをスキャナで読み込む作業は、1コマ当たり約3分かかるのでネガが何本もあるときは何時間もかかるし、スキャナ自体へこたれてきてさらに手間隙がかかるようになったので、1年くらい前から、撮影後のネガフィルムを街の写真屋へ出すときは、現像に加えてCD-R焼付けもやってもらっています。
 どうへこたれたかというと、フィルムをスキャナにローディングするときエラーになってはじかれることが多くなり、それでもだましだまし使っていたところ、2009/11/10、ついに色調も狂っていよいよ末期症状。
 メーカー(Nikon)のサポートはすでに終了しているし、ほかに修理してくれそうな店も見当たらないので、長年の労をねぎらいつつ押入れに格納しました。
CABIN コンパクトフィルムスキャン35 CFS-2.5
 クチコミだと、中にデジカメが入っているとか、スキャンは速い(10秒程度)とか、高解像度は望めないとか、ポジだとダメだがネガだとまぁまぁの出来とかいった様子なので、ネガに限ればコストパフォーマンスは良さそう。
 古いネガをちょこっとデジタル化してメールやインターネットで使いたいときなどは、これで当分間に合うでしょう。

2010/03/31 停波

am 2:00〜3:00
J-SH09のステーション位置情報は、更新可能。
am 2:25〜2:30
J-SH09から電話→「こちらはソフトバンクです。おかけになった電話番号は現在使われておりません」。
J-SH09から電番スカイメール発信不可。
J-SH09へ電話→「プーッ、プーッ(以下、同じ)」。
am 3:00〜7:30
(就寝)
am 7:35
J-SH09のアンテナピクトは、圏外表示。
ステーション位置情報は、5:52に自動更新されていた。

 J-PHONEの第2世代携帯電話の停波が確認されたので、当方の同位置情報調査研究はこれでおしまいです。
 これまで協力くださった廃人様方、どうもありがとうございました。


2010/06/28 庄内、会津

 大人の休日倶楽部会員パスでカミサンを引率して庄内・会津を観光。乗りつぶす路線がなかったので、遠征記にはUPしません。

2010/06/25
弘前・奥羽本線・羽越本線・酒田/酒田駅前・庄内交通バス・寿町(相馬樓を見学。舞妓はんがお出迎え。江戸時代の料亭で、今は竹久夢二美術館も内蔵)・庄内交通バス・大通り商店街(酒田の財閥・本間家の旧本邸を見学)・徒歩・山居町(山居倉庫見学。本間家の倉庫が12棟並ぶ)・庄内交通バス・庄交バスターミナル(本間美術館・庭園を見学)・徒歩・酒田駅前/酒田・羽越本線・鶴岡/鶴岡駅前・タクシー・鶴岡公園(鶴岡公園を見学)・タクシー・鶴岡駅前/鶴岡・羽越本線・余目・陸羽西線・新庄・奥羽本線・天童


(山居倉庫)

2010/06/26
天童・奥羽本線・山形・山形新幹線・米沢/米沢駅前・山交バス・上杉神社前(上杉神社を見学)・山交バス・米沢駅前・広田タクシーレトロバスマスコットくん(1920年代のイギリス車などで米沢と喜多方・会津若松を結ぶ乗合バスまたはタクシー。予約制)・喜多方駅・喜多方まちなか循環バスぶらりん号・甲斐本家(甲斐本家の蔵を見学)・タクシー・喜多方駅/喜多方・磐越西線・会津若松・磐越西線・猪苗代/猪苗代駅・磐梯東都バス裏磐梯高原線・五色沼入口(五色沼ハイキング・毘沙門沼・赤沼・みどろ沼・竜沼・弁天沼・青沼・柳沼)・裏磐梯高原駅・磐梯東都バス裏磐梯高原線・猪苗代駅/猪苗代・磐越西線・会津若松

2010/06/27
会津若松駅・会津バス大内宿こぶしライン号(塔のへつり・大内宿・会津本郷焼・会津漆器を見学)・会津若松駅/会津若松・磐越西線・郡山・東北新幹線・仙台・東北新幹線・八戸・東北本線・奥羽本線・弘前


(塔のへつり)


(大内宿)


2010/07/10 カメラ修理/防湿庫

 カメラを修理するとともに、防湿庫を購入しました。

カメラ修理
 Nikon FEもNikomat FT2も光漏れするようになったため、あわてて2003/7/20にNikon FM3Aを買い求めたのは、まさに怪我の功名でした。恥ずかしながら当時、光漏れはモルトプレーン(黒いスポンジ)を貼り替えれば解決することを知らなかったからです。知っていれば、9万円ちかくも出してFM3Aを買ったりしないで、修理に出して間に合わせていたはずです。
 オートが電子シャッター(電池必要)でマニュアルが機械シャッター(電池不要)というハイブリッド機であるFM3Aはその後、発売からたったの5年で生産中止となり、中古品が当時の発売価格を上回るほどの異常人気になったというのですから、あのとき買わなければあと新品を手にするチャンスは訪れなかったのだろうなぁと思うと、これは何がなんでも永久に使い続けてやろうという頑固さは増す一方です。だれもそれを止められません(笑)。
 ところで、当方のFM3Aは2010年1月の旅行中、列車の床に落としてアクセサリーシューを支えている金属板にヒビが入ってしまい、ストロボを装着すると少し右肩下がりという情けない状態です。実用上は何ら問題ないのですが、どうも気分がよろしくありません。とはいえ、部品交換だと1万円以上、オーバーホールだと2万円以上覚悟しないといけないようです。
 一昨日、市内を散歩していたら意外な場所に中古カメラ店があったので飛び込んでみたところ、Nikon Fなど往年の名機がぞろぞろと並んでいて、圧巻です。しばらく店主とのカメラ談義に花が咲きました。そして店主の話だと、モルトプレーンの貼り替えだけなら1台3,500円で済むと言います。自分でもやってやれない作業ではなさそうですが、ここはやはり店に任せることにしました。
 その翌日つまり昨日、店にFEとFT2を持ち込んで修理を依頼したところ、1週間でできるとのこと。
 その翌日つまり今日、店から電話があり、「でき上がった。なおFM3Aは、打ち直しで良いなら5,000円で直せることがわかった」と言います。すぐ店にでかけて修理済みの2台を受け取り、FM3Aの修理を依頼しました。
 これで当分の間、カメラボディの心配はしなくて済みます。
防湿庫
 それまで本棚や押入れ内のプラスチックケースなどに無造作に納めていたカメラ類を防湿庫に納める気になったのは、おそらく2010/3/4にCarl Zeiss Distagon T* 2.8/25 ZFを買ったことが原因だろうと思います。
 注文したオートクリーンドライ(東洋リビング ED-80CW 33,600円)は、今晩手元に届きました。
 冷蔵庫みたいな音がしたら嫌だなと思っていたところ、無音です。すばらしい。
 さっそく、手元のカメラ、レンズ、ストロボなど、汚れをきれいに拭き取ってから防湿庫に納めました。
 余談、防湿庫を使い始めると、余裕部分を埋めるためさらにカメラやレンズを買いたくなる病が発病したりするそうですが、当方の防湿庫にはすでにその余裕はありませ〜ん。

2010/11/01 東北新幹線新青森開業試乗会

 招待者の代理として試乗会に参加してきました。
 ようやく新幹線が新青森まで来たかと思うと感慨深いものがあります。
 新青森から七戸十和田に停車して八戸まで所要時間は29分で、行程の約半分はトンネルでした。

新青森駅
奥羽本線は、新青森駅(無人駅)では青森方が東で弘前方が西の方向。
新幹線の線路は、この無人駅を奥羽本線に直交するようにオーバークロス。
無人駅から北隣の新幹線・新青森駅の構内へは、2階で渡れる構造(上越新幹線・燕三条駅に類似)。
新幹線・新青森駅の構内や駅前広場は、まだ一部工事中。びゅうプラザや店舗などはもちろん営業前で、食料調達場所なし。
受付で渡されたシールには、5号車自由席との表示。
10両編成のうち2〜6号車が試乗会用らしい。
乗り込んだ列車は、何回も乗車している「はやて」の車両なので、新鮮味はない。
11:18新青森発。
同駅出発後
しばし高架(うち、橋長450mの三内丸山架道橋は、斜張橋で、最大スパン長が新幹線橋梁では最長の150m)などを走行し、青森市内を一望。
断続的に短いトンネルが続いたのち、八甲田トンネル(陸上の複線トンネルでは世界最長の26.5km)へ進入。
八甲田トンネルを抜け、丘陵地帯の林の中をしばし走行。
七戸十和田駅
11:32七戸十和田着。
11:35七戸十和田発。
同駅出発後
丘陵地帯の林の中をしばし進み、断続的にトンネルが続き、おいらせ町付近から田園地帯をしばし眺め、断続的にトンネルが続いたのち、しばし高架を走行し、八戸市内を一望。
八戸駅
11:47八戸着。
2階新幹線改札付近の弁当屋は、食料を求める試乗会参加者が殺到してしばし混雑(笑)。
12:12八戸発。
七戸十和田駅
12:24七戸十和田着。

12:27七戸十和田発。
新青森駅
12:41新青森着。

2011/03/08 カメラとのつきあい(1)

 カメラを初めて持ったのは、1964年で、機種はハーフサイズのOlympus Pen Dでした。
 レンズは、焦点距離が32mm(画角はフルサイズの45mmに相当)で、F値が1.9。
 距離計はついていなくて、距離目盛の近距離(1mあたり?)と中距離(3mあたり?)の2か所にクリックがあったようです。
 露出計は、電池のいらないセレン光電池式のもので、日が暮れてEV値7以下くらいでは不感だったようです。
 「ようです」というのは、壊れて(壊して?)手元から消えて久しいので、記憶をたどるとそうだったかな、というくらいの話だからです。


2011/03/09 カメラとのつきあい(2)

 次に手にしたカメラは、1966年のOlympus Pen Wでした。
 レンズは、焦点距離が25mm(画角はフルサイズの35mmに相当)で、F値が2.8。
 距離計はついていなくて、距離目盛の近距離(2mあたり?)と中距離(5mあたり?)の2か所にクリックがあったようです。
 露出計もついていませんでした。
 このカメラも、手元から消えて久しくなります。

 Olympus Pen Dは、親が買ってくれたもので、購入価格は1万円を超えていたようです。
 Olympus Pen Wは、お年玉をためたりして自力で買ったようで、購入価格は8,000円という記憶が残っています。


2011/03/10 カメラとのつきあい(3)

 標準レンズのOlympus Pen Dと広角レンズのOlympus Pen Wで撮った写真は、遠足、運動会、修学旅行などイベントでのものがほとんどでした。

 カラー写真は、フィルムも現像・焼付も高価で、庶民には敷居の高い存在だったので、写真といえばモノクロが普通でした。
 よく使ったフィルムは、市販のNEOPAN SS(iso100)やLIGHTPAN SS(iso100)で、たまに行きつけの写真屋で長尺のKODAK Tri X(iso400)を36exくらいに切り売りしてもらうこともありました。

 そのモノクロフィルムも、ハーフサイズであれば2倍の枚数を撮ることができます。
 そんなこともあってか当時は、ハーフサイズカメラとして、オリンパス・ペンのほかリコーオートハーフシリーズもよく見かけたものでした。

続く→(4)


2011/03/14 光回線と地震

2011/03/10
 インターネット回線を光に変更したことに伴い、プロバイダ契約が切れしてしまい、3/10限りでパソコンのメールとインターネットが使用不可に。

2011/03/11
 午前に、もとのメルアドとホムペを維持することでプロバイダ契約を申し込み。書面到着後にインターネット接続設定予定。
 午後の地震直後に停電。損壊、火事など被害なし。 

2011/03/12
 夕方に通電再開。

2011/03/14
 昼前に、プロバイダ契約関係の速達書面が到着。
 夕食後、インターネット接続設定を完了して平常時に復帰。


2011/04/30 カメラとのつきあい(4)

1968/08/03
 夏休みにふと思い立ち、国鉄・一筆書き旅行にでかけました。
 切符は「弘前→弘前」、ルートは弘前・奥羽本線・川部・五能線・東能代・奥羽本線・大曲・田沢湖線・盛岡・東北本線・好摩・花輪線・大館・奥羽本線・弘前、運賃は学割で1,330円。
 大曲で駅寝し、田沢湖線の田沢湖駅で途中下車し、小雨まじりの田沢湖を訪れました。このとき写真は、撮らなかったのかもしれません。ネガが見当たらないのです。

1968/08/20
 再び夏休みを利用し、今度は少し大掛かりな一筆書き旅行にでかけました。
 切符は「弘前→大船」、ルートは弘前・奥羽本線・新庄・陸羽東線・小牛田・東北本線・郡山・磐越東線・平(現「いわき」)・常磐線・友部・水戸線・小山・両毛線・新前橋・上越線・高崎・信越本線・小諸・小海線・小渕沢・中央本線・八王子・八高線・倉賀野・高崎線・大宮・東北本線・東京・東海道本線・大船、運賃は学割で2,620円。
 信越本線の横川から軽井沢に至る最大66.7/1,000の急勾配は、すごいものだと感心し、おもわず軽井沢から横川へ戻ってみたりしました(^^;
 上り列車は、三重連の電機が横川方につき、連結器をギシギシときしませたりしながら走行しました。


1968/08/27撮
信越本線・軽井沢から横川へ向け、熊ノ平信号場(旧「熊ノ平駅」)を通過中の上り列車
横川方に三重連の電機


1968/08/27撮
小海線・野辺山駅に停車中の蒸機・C56


2011/05/01 カメラとのつきあい(5)

 就職してからしばらくたち、それまで憧れでしかなかったニコンにようやく手が届くようになりました。

 1975年、Nikomat FT2(ニコンの普及機カメラボディ)とNikkor 50mm f/1.4(標準レンズ)を購入し、矢継ぎ早にNikkor 135mm f/2.8(望遠レンズ)、Nikkor 35mm f/2.8(広角レンズ)を追加購入。

 多用したのは35mm f/2.8で、もっぱらスナップを撮っていました。


2011/05/02 カメラとのつきあい(6)

 ニコン一眼レフのうちNikomat FT2など普及機は、早い話が廉価版ですから、フラッグシップモデルであるF一桁シリーズ(Nikon F、Nikon F2)と比べ、たとえばファインダーの視野率が100%でない(面積比で92%=長さ比で96%)とか、ファインダースクリーンが交換できないとか至らない点はもちろんありました。
 それでも、ニコンFマウントの交換レンズを装着して使えることには違いありません。
 そもそもニコンは、カメラ作りの考え方は良い意味で頑固だし作るカメラも頑丈だという定評がありました。

 F一桁シリーズによだれを垂らしながらもついに、素人の自分には普及機で十分だろうと考えるに至り、Nikomat FT2を選んだのでした。


2011/05/03 カメラとのつきあい(7)

 自動的にピント合わせをするカメラの開発が進み、1970年代後期以降、ジャスピンコニカ、キヤノン・オートボーイなどオートフォーカスのコンパクトカメラが各社から相次いで発売され、さらに数年後には一眼レフでもオートフォーカスのカメラが発売され始めました。
 花、風景など動かないものを撮るのに威力を発揮しそうです。
 一方、動くものの撮影やスナップだと、シャッターボタンを押してからレンズが動いてピント合わせが行なわれてシャッターが切れるまでの間に被写体が動き、思ったとおりの写真にならないかもしれません。

 いずれにしても、技術革新に感心したのは事実でした。


2011/05/04 カメラとのつきあい(8)

「スナップ専門」+「ピント合わせもフレーミングもアバウト」=「広角レンズが便利」
「シャッターチャンスがすべて」=「押した途端にシャッターが切れなきゃ意味ない」

 そんな人間にとって、シャッターが切れるまでのタイムラグがあるオートフォーカスは無用でした。

 35mmレンズだと引きのない場所で被写体が画面におさまりきらないことがあって、もっと画角が広いレンズがほしくなり、1980年、ついにNikkor 24mm f/2.8を購入。
 以降、35mmレンズ(画角は63度)より画角がかなり広いため最初は使いづらく感じたこの24mmレンズ(画角は84度)が常用レンズとなり、30年ほどつきあいました。

 1981年、行きつけの写真屋から勧められた中古のNikon FEボディは、未使用に近い状態なのにエンブレムに傷があるため激安の価格設定。速攻でゲットしました。
 以降、マニュアル露出のNikomat FT2に代わって自動露出のこのNikon FEが常用ボディとなり、22年ほどつきあいました。


2011/05/05 カメラとのつきあい(9)

 レンズ装着時に絞りリングをガチャガチャと回さなきゃならないNikomat FT2とは異なりNikon FEでは、マウントがAi方式になっていて、Aiレンズの装着は簡単です。
 ところが、手持ちのレンズは全部、非Aiなので、装着は依然としてガチャガチャです。
 使用頻度は第一に24mmで、第二に135mmなので、行きつけの写真屋を通してこの2本をAi改造してもらいました。

 50mmも35mmもほとんど使うことがなくなり、その後購入した唯一のズームレンズ・Tokina 100-300もあまり使いませんでした。


2011/05/06 カメラとのつきあい(10)

 ふだんはカメラなど目もくれない毎日。ところが、結婚披露宴に招待されるとかイベントとかあるとなぜか張り切り始め、バシャバシャ撮りまくったり。
 そんな調子なので、年間ショット数は、あまり多くありませんでした。


2011/05/07 カメラとのつきあい(11)

 2003年7月、Nikon FM3Aボディを購入(→詳細)。

 2010年3月、Carl Zeiss Distagon T* 2.8/25 ZF(ツァイスの25mm広角レンズ)を購入(→詳細)。

 2010年7月、カメラボディ(FE、FT2)を修理するとともに、防湿庫を購入(→詳細)。


2011/05/08 カメラとのつきあい(12)

 静止画をデジタルで記録するカメラが発売され始めたのは、オートフォーカスカメラの発売から約10年後の1980年代終わりころでした。
 こうしたデジタルカメラと従来のフィルムカメラはどのような違いがあるのか、少し調べてみました。

区分フィルムカメラデジタルカメラ
概況光学機器です。
完成の域に達しているようです。
機械式など耐久性に優れたものが多く、故障などの修理は可能なことが多いようです。
電子機器または家電製品です。
画像処理など各社の技術開発が続き、まだ完成の域に達していないようです。
電子部品が主要部を占めるため耐久性はさほど期待できず、故障などの修理は新品購入に近い費用を要するかまたは不可能なことが多いようです。
電源と作動機械式の部分の作動には電源(電池等)が不要で、電子式の部分の作動には電源が必要です。
作動には電源が必要です。
レリーズタイムラグ
(単位はmsec=1/1,000秒)
シャッターボタンを押してから実際にシャッターが切れるまでの時間(ピント合わせ等の時間を除く)
レンジファインダー機:20〜30msec
一眼レフ(機械シャッター):30〜50msec
一眼レフ:37〜100msec
描写の選択用途や好みに応じた描写をするフィルムをカメラに装填します。カメラボディを、用途や好みに応じた描写をするものと取り替えます。
露出普通のネガフィルムではラチチュード(露出の許容範囲)が広いので、露出が少々オーバーかアンダーでもそれなりに写ります。
ポジフィルムではラチチュードが狭いので、シビアな露出が求められます。
ラチチュードがポジフィルムなみに狭いので、シビアな露出が求められます。
現像焼付普通は、写真屋でやってもらいます。撮影した画像の色調補正などパソコンで処理してから印刷または写真屋へたのんで焼付します。
画像編集ソフトと操作する技術知識が求められます。
連写フィルムの残枚数を確認しながら行ないます。
フィルム交換は、決定的シーンが生じないだろうというときにします。
容量の大きい記録媒体(SDカード等)の装填等により、枚数などあまり気にせずに行なうことができます。
電子化現像済みフィルムをフィルムスキャナーにかけて電子化します。
時間がかかりますから、急ぐ用途には向きません。
撮影した画像は電子データとして記録されます。
撮影後パソコンから電子メールで送信することも可能ですから、迅速さが求められる報道関係などに向いています。

2011/05/09 カメラとのつきあい(13)

 デジタルカメラよりフィルムカメラのほうが自分には適しているだろう、また、コストパフォーマンスもよいだろう、という考えは漠然としたものだったので昨日、デジタルカメラとフィルムカメラについて少し調べてみたわけです。
 その結果、結論としてはそうした考えでだいたいよいことがわかりました。

 ただ、その過程において、レンジファインダー機が優れている点にも気がつきました。

 第一に、レリーズタイムラグが小さいことです。
 フィルム一眼レフではミラーを跳ね上げてからシャッターが切れるのに対し、レンジファインダー機ではミラーなどないためすぐシャッターが切れるからです。

 第二に、性能のよい広角レンズが製作されていることです。
 広角レンズは、フィルム一眼レフではミラーが邪魔になるためバックフォーカスを大きくとる必要があってレトロフォーカス型という無理なレンズ設計となるのに対し、レンジファインダー機ではミラーなどないためフィルムの近くまでレンズを置くことができて無理のないレンズ設計となるからです。

 第三に、ミラーもペンタプリズムもないため軽量小型になることです。

 他方、レンジファインダー機の欠点にも気がつきました。
 ファインダーから覗いた画面とフィルムに写る画面とは視差があるため微妙に異なること、望遠レンズを使えないことなどです。


2011/05/10 カメラとのつきあい(14)

 広角レンズに特化するなら、[Nikon FM3A]+[Carl Zeiss Distagon T* 2.8/25 ZF]という「現体勢」よりむしろ、[Zeiss Ikon](レンジファインダーカメラ)+[Carl Zeiss Biogon T* 2.8/25 ZM](25mm広角レンズ)という「新体勢」のほうが魅力的です。その場合は、Nikon FM3Aは135mm望遠レンズ専用機になるでしょう。
 難点は、「新体勢」の購入で諭吉が20人くらい吹っ飛びそうなことと旅行の荷物が増えて重たくなることです(^^;

 ここはひとまず「現体勢」と135mmでよしとし、Ikon沼へ落ちるのは回避しました。


2012/02/20 お気に入りの駅弁

(2012/02/20記)

かにめし(長万部・かにめし本舗かなや)
小唄寿司(八戸・吉田屋)
シウマイ(横浜・崎陽軒)
牛肉どまん中(米沢・新杵屋)
鶏めし(大館・花膳)
鯵の押寿し(大船・大船軒)
深川めし(東京・日本レストランエンタプライズ)


2012/09/07 日本列島喫茶店スタンプラリー・訪問歴

(2012/04/13記)
(2012/09/07更新)

 2011/09/13にスタートし、2012/09/03にゴールしました。

No訪問日店の名称所在地最寄駅
012011/09/13カフェあんな北海道小樽市JR函館本線・小樽
022012/04/04悠遊舎愛知県刈谷市JR東海道本線・刈谷
032012/04/04カフェ・ド・シャレー愛知県名古屋市名古屋市営地下鉄鶴舞線・名城線・八事
042012/04/05ソイ・カフェ岐阜県大垣市養老鉄道・西大垣
052012/04/07ダーズ・カフェ大阪府大阪市JR大阪環状線・野田
062012/04/07すぷる〜す滋賀県野洲市JR東海道本線・野洲
072012/04/08藍風珈琲店愛知県名古屋市名鉄瀬戸線・尼ケ坂
082012/04/08カフェひょうたん島東京都国立市JR南武線・谷保
092012/04/08らんすみれ東京都目黒区東急目黒線・洗足
102012/04/09カラク埼玉県北本市JR高崎線・北本
112012/09/03カフェ・プレイス・ミュウ兵庫県姫路市山陽網干線・西飾磨

2016/08/25 ホームページ移転

このサイトは、http://jpe02tn.webcrow.jp/へ移転しています。

KDDIは公式ページで2016/8/5に「2017年10月31日(火)をもって、au one net ホームページ公開代理サービスの提供を終了します」と発表し、2016/8/24にそのことを知りました。
そこでこのサイトの存続のため、ホームページ用のスペースを提供するサイトをいくつか比較検討し、移転する先を上記のとおり決めました。


2019/08/02 おでかけメモ

(2011/07/08記)

 2011/06/12、ブログをfc2で開設しました。TurtleNeckのおでかけメモ
 旅行中、その日乗ったルートやメモなどを書こうかな、なんて思っています。
 そんなわけで、中身はまだほとんど空っぽ状態です(^^;

(2013/07/15記)

 おでかけメモは、facebook(驫木 渉(TurtleNeck))に書き込むことにしました。fc2ブログは当分の間、休止します。

(2019/08/02記)

 おでかけメモは、twitter(TurtleNeck)に書き込むことにしました。facebookは当分の間、休止します。


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